各線・天王寺駅すぐ あべのハルカス22F
自動車運転は認知・判断・操作の繰り返しで成り立っています。
そのうち一つでもうまくいかないと誤操作から危険が大きくなります。
認知…高齢者運転における事故
認知症はもちろんですが、診断されるには至らなくても生活上で物忘れや動作の誤りが増えている状態だと運転への影響が大きくなります。
危険があるのに認知力の低下についての自覚が無いまま運転を強行し、誤操作から事故・事件を引き起こすケースが増えつつあるのは周知のとおりです。
操作ミスの程度によっては安全のために早めに運転を控えるのが理想ですが、自動車しか交通手段が無い地域で運転者が限られている家庭などでは運転継続がやむ得ない場合もあり、今後高齢化が進む我が国では容易には解消しがたい問題と思われます。
判断…「ロード・レイジ」
最近はあおり運転などからドライバー間でもめ事に発展する事件の報道が目立ちます。故意の危険運転は論外ですが、正しい運転を心掛けていても自動車同士では対人とは異なりコミュニケーションに制限があり、誤解から判断を間違う場面が少なくありません。
ある自動車の運転が荒い際に、他車の運転に怒っているのか、ドライバー自身の事情でイライラしているのか、意図無く単に操作が荒いだけなのか、などが分からず互いに疎通が取れないままに事故・事件になってしまいます。
周りの運転状況を類推・予測する意識と、トラブルを避けるために譲り合える気持ちの余裕が必要でしょう。
操作…自動運転化
技術革新が進み、運転操作や注意の必要性が少なくなるのは良いことでしょう。
一方で、自分の意のままに乗り物を操り思い通りの道で目的地に向かえる、というのも自動車運転の楽しみ的な側面です。自動化の発展は人の操作が機械にとって代わられていく過程、という捉え方もできます。
前述の高齢者運転の問題、自動車間のもめ事などがドライバーの努力や制度改善など、人による工夫対処で今後も解決できないのであれば、機械化と引き換えに自由に運転する楽しみを失う…という形でツケを払うことになるのも仕方ないかもしれません。